木曽町日義に鎮座する「南宮神社」「旗挙八幡宮」「原野八幡宮」を紹介する公式ホームペ-ジです
御 祭 神 | |
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誉田別尊 | (ほんだわけのみこと) |
木曽義仲公 | (きそよしなかこう) |
御 由 緒 |
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当神社は、平安時代末、幼少時代を木曽にて過ごした木曽義仲公が、養父中原兼遠と共に京へ上った時、源氏一門の崇敬の篤い石清水八幡宮を勧請し当地に祀ったと伝えられている。仁安元年(1166)木曽義仲公13才の時、この地にて元服。以仁王(もちひとおう)の令旨を受けて 治承四年(1180)千余騎を従えて、当社で平家打倒の旗挙をした。爾来、旗挙八幡宮と呼ばれ、木曽義仲公の遺徳を偲び現在に伝えている。 |
木曽義仲公館跡 | ||
当社の鎮座する一帯は、宮ノ原と呼ばれ、吉蘇路(きそじ)が開通した当時(713年)、御殿(みどの)東野(とうの)徳原(とくばら)とともに官舎が設けられた処と云われて おり、街道を見渡す段丘上にある。木曽義仲公が元服した折、当地に館を構え上田(木曽福島)にある養父の中原兼等の屋敷から移ったといわれている。現在、800年の星霜を経て館は見る影も残されていないが、眼下に宮ノ越宿を見渡し、西に沈む燃える夕日は信州サンセットポイント百選に選ばれる程の眺望であり、中山道木曽路の要所であったことがうかがえる. |
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眼下に宮ノ越宿を見渡す |
木曽宣公舊里碑 | ||
文化10年(1813)に木曽代官9代目、山村良由(蘇門)が自ら撰文、揮毫した木曽義仲公の生涯を漢文で記述した石碑である。元は中山道から当社へ向かう参道の入口にあったが、国道や鉄道の敷設に際して境内に移された。 |
南宮神社 | 長野県木曽郡木曽町日義1492 |
旗挙八幡宮 | 長野県木曽郡木曽町日義2150 |
原野八幡宮 | 長野県木曽郡木曽町日義3432-1 |
〒399-6101 | |
℡0264(24)0545 | |
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